三百五十八話 煮蛤

“ 京の着倒れ ” “ 浪速の食倒れ ” とよく聞くが。
ほんとのところは、どうなんだろうか?
東京を除けばという話なら、それもそうなのかもしれない。
だが、なに倒れとか評されていること自体が、逆にそうじゃないと言われているような気もする。
なかでも、鰻・とんかつ・蕎麦・寿司などは、軒数でも質でも到底かなわないように思う。
銀座数寄屋通りを西に向かうと北側に一軒の老舗寿司屋が在る。
お連れ戴いたのは、銀座の事情によく通じた方で。
その方によると、この数寄屋橋界隈は、古き良き銀座の残り香が漂う場所らしい。
欅看板には堂々たる筆使いで屋号が記されている。
“ 寿し幸 ”
勅使河原蒼風先生によるものだと聞く。
一◯席ほどのカウンター席には、ずらっと御常連が並ぶ。
気取りなく粋で、構えたところがない方々だが、一見して上客だとわかる。
やっぱり銀座の客筋というのは、どこか違う。
武者小路実篤の筆による書画を背にした職人さんもぴしっとした立ち姿で。
「本日はよろしくお願いいたします」
「さぁ、何から始めさせていただきましょうか?」
「せっかく江戸前の名店に御連れいただいたんだから、煮詰めで旨いところをお願いします」
魚介や椎茸や昆布などを煮た煮汁を煮詰め、
醤油・砂糖・酒などで整えたタレの味を江戸前寿司ではとても大切にする。
煮詰めとか略してツメとか呼ばれるこの甘辛い味が好きで、江戸前と聞けばこの味が浮かぶ。
そして、供されたのは “ 煮蛤 ”
今でもこれだけの粒が東京湾で近海物として揚がるのだろうか?
それほど立派な粒で、柔らかいけど身はしっかりと煮てある。
肝心の煮詰めも、甘過ぎず辛過ぎず塩梅良く、とろみにも品があって触りが絶妙だ。
寿司は、江戸っ子にとっておやつだったと聞いたことがある。
ひとつふたつ摘んで、空いた小腹を癒す。
だから、腹一杯詰め込むのは粋じゃないのだそうだ。
なるほど。
この甘辛い味は、そういった向きで考案されたものだとすると合点がいく。
隣に、店の同伴なんだろう若いホステスさんを連れられた方がおられた。
「おめえよぉ、どうでもいいけど、そんなに寿司をがっつくんじゃねぇよ!」
と諌められても、どうもこの綺麗なおねえさんの耳には届かないらしい。
矢継早の注文は、これからの戦闘に備えた腹ごしらえに違いない。
笑顔は崩さないが、腹の内ではこう思ってるのかもしれない。
「うるさいよ!こっちは、これから戦なんだから!」
「黙って勘定だけすんのが客の甲斐性じゃないの?」
「こいつも、いまいち使えねぇ奴かも」

こういった駆引きもまた銀座らしい。

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