百六話 横丁に残る“ 横丁 ”

所用で神戸にいたので元町に足を向ける。
この辺りの商店街には、学生時代の先輩や同級生や後輩達の店が多くある。
皆、名の通った老舗の二代目や三代目だ。
それでもこういうご時世だからと思いながら見知った看板に目をやりながら歩く。
どの店屋も堂々と暖簾を守って商っている。
渋々代を継いだ奴もいるが、継いだら継いだで中々にしぶとい。
校風だろうか。
元町商店街には、およそ思いつくであろう商売のほとんどが軒を連ねている。
仕立屋、鞄屋、生地屋、ネクタイ屋、靴屋、子供服、食材店、菓子屋、喫茶店、刃物屋…………など。
港街ならではの海図屋なんていう商売もある。
それぞれに老舗で、ものに精通した玄人が顧客相手に商う。
また、ちょっとした歴史を看板に刻んでいる店屋も多い。
日本最初の紳士服店であり、明治天皇、伊藤博文公の服を仕立たという柴田音吉洋服店も健在だ。
とかくガキの身には敷居の高い商店街だった。
大学生の頃、どうしてもほしいパンツが友達の店のショー・ウィンドウにあった。
店主でもある父親の目を盗んで原価でわけてやると言うので身分違いの店に出向いた。
二階の瀟洒なサロンで友達に裾を合わせてもらう。
階下で勘定をとなった時にいないはずの店主が出て来られた。
銀髪で痩身に沿った 高級スーツを上品に着こなしておられる。
⎡こいつ、俺の友達⎦
⎡あっ、どうもです⎦ 財布には用意していた原価ギリの札しか入っていない。
⎡え〜と、どうしようかな⎦ どうしようかもないもんである。
すでに裾は切られているんだから。
⎡御客様の出世払いにして差上げて、卒業されたら頑張ってくださいよ⎦
⎡あっ、はい、どうもです⎦
⎡ありがとうございました、今後ともよろしくお願いします⎦
満足な持合わせもない息子の友達だからといってぞんざいに扱うということはない。
⎡今後ともと言われても当分無理だろうなぁ⎦ 思っても口にはせず頭を下げる。
⎡あっ、すいません、ありがとうございました⎦
⎡ガキが訪れる場所じゃない⎦ と思い知る。
服屋で緊張したのは、後にも先にもこの時限りである。
この時のパンツ、仏から輸入された Dior Monsieur 今で言う Dior Homme の前身である。
大人の街、紳士が行交う通り、神戸元町はそんな感じだった。
商店街の南側には南京町が広がる。
今では観光客で賑わうこの地区も昔は違った風情だった。
インディー・ジョーンズ張りの魔窟みたいな。
魔窟とは大袈裟かもしれないが、かつては異国情緒を越えた妖しさが漂っていた。
その南京町と元町通りを数本のいりくんだ路地が繫ぐ。
そのうちの一本の横丁に鰻屋が在る。
その名も⎡横丁⎦という。
この日は気温二十七度の夏日。
まだ五月というのに鰻でも喰って精をつけなければやってられない。
この⎡横丁⎦は義理の父が通った馴染みの鰻屋だ。
客だった父はこの世にいないが幸い鰻屋は残った。
五十年以上味も店も変わらず営んでいる。
鰻は雰囲気で食する喰いものだと思う。
まず一軒屋の平屋建でなくてはならず、隣や上階へ気兼なく焼けなくてはならない。
床には鉄平石を敷く、鰻をさばくには水はけを考慮しなくてはならない。
天井には葦簀を張り、店内に籠る熱気を和らげなければならない。
欲を言えば壺庭に竹か笹を配して夏場に涼しげな設えがあれば有難い。
鰻は飴色に煤けるこうした店屋で喰いたい。
うな重を注文した。
背開きにした鰻を白焼きした後に蒸しタレをつけながらさらに本焼する。
いわゆる関東風である。
東京の鰻屋では注文後二十分から三十分待たされる事を覚悟しなければならない。
この面倒な手順によるのだが。
⎡横丁⎦では白焼きの状態でつくり置いているのだろう十分少々で運ばれてきた。
五十年継足してきた甘めのタレが食を誘う。
つくり置いているぶん少々身離れが悪いが味はたいへん美味しい。
赤出汁の肝吸いも珍しいが意外に合う。
周りを見渡すと海坊主みたいなオッサンが昼間から白焼きを肴に燗酒を傾けている。
地元の常連だろう。
いい景色だねぇ、やっぱり鰻屋はこうでなくてはならない。
男は、犬が縄張りに小便するように自分の足跡を残したがる。
あの人は何処の馴染みだったとか、いつも何処に座っていたとか、逝った後も話にのぼる。
何を好んで、どんな喰い方をしたかまで。
馬鹿な甲斐性の測り方だが、街場に僅かに残る男の足跡が懐かしいこともある。
義理の父が愛した横丁に残る“ 横丁 ” 意外と良い趣味してんじゃん。

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