百八話 Goodbye Butterfly

今年はいつもよりたくさん咲いた。
庭にいる Old English Rose の晴れ姿なんだけど。
品種名は、二十世紀初頭の園芸家ジェキル女史に因んで Gertrude Jekyll という。
英国民にもっとも愛される薔薇の品種として知られている。
今年は、倫敦オリンピック開催をはじめ英国にとって節目の年になるだろう。
Queen Elizabeth II も即位六十周年を迎えられ、御年八十六歳になられる。
天皇陛下もそうだけど、下々でいうところの楽隠居って訳にはいかないんだろうな。
ロイヤル・ファミリー、日本国においては皇室ということになる。
外交という国際舞台で日本が序列一位の席を確保できる数少ない領域のひとつだろう。
悠久の歴史の中で皇室と国民が一緒になって大切に守り育んできた。
無形にして世界に誇れるブランドと言えるかもしれない。
服飾の世界でも皇室に係わってきたデザイナーがおられる。
森英恵先生。
一九七七年に巴里でメゾンを開かれ、仏オートクチュール組合所属の唯一の東洋人となられる。
以前勤めていた紡績会社との御縁で、巴里でのショーを拝見したことがある。
凄いなぁとは思ったが、正直よく理解出来なかった。
オートクチュール・メゾンとは数百人しかいない顧客に向けてのみ存在する閉ざされた世界である。
理解するためには生まれ育ちからやり直さなければならない。
一九九二年、バルセロナ五輪日本選手団の公式ユニフォームを担当される。
この五輪では、僕のデザインも陸上競技日本選手団に公式採用していただいた。
ちっちゃい自慢なんだけど、自分のデザインしたものに日の丸が冠されるって畏れ多い話ですよ。
それに独立して始めたデザイン事務所の初仕事だったんで嬉しかったなぁ。
すいません余談でした。
翌年の一九九三年、おそらく先生にとって最も大きな仕事に臨まれる。
皇太子妃が結婚の儀でお召しになられるローブ・デコルテの製作。
服飾技術の中でも究極の難易度を要求される最高礼服である。
しかも、年齢、性別、階層、習慣が異なる世界中の人々に同じ印象を与えなくてはならない。
さらに、大勢の人に長く記憶として留まる歴史的な衣装は時代に褪せない強さも要求される。
国にとっても先生にとっても絶対に失敗の許されない大舞台である。
披露されたローブ・デコルテは見事だった。
森英恵という気配を全て消し去った森英恵にしか成しえない仕立。
先生がこのローブ・デコルテについて多くを語られたという憶えはない。
プロフェッショナル中のプロフェッショナルとはどういう仕事をする人の事をいうのか。
服を通して後に続く者に示されたんじゃないかなぁ。
ちゃんとしなきゃ先生に怒られちゃうよ。
⎡若い方達は、デニム、デニムと言ってデニムを装いの中心に考えてるようですけど⎦
⎡果たしてそんな事で良いのかしら?⎦
とか言われたりして。
⎡すいません、才能無い上に努力もしない馬鹿揃いですから⎦
⎡それに、だいたいが装いなんて言葉に見合う風体してませんし⎦
ちょっと前、Musée du Dragon に一通の招待状が届いた。
差出し人に森勉とある。
森英恵先生のお孫さんだ。
都合でその時はお伺い出来なかったが、どんな服創ってんだろう?
噂では相当やんちゃなストリート系だって聴いたけど。
まぁ、おばぁちゃんはおばぁちゃんだし、お孫さんはお孫さんだからね。
Butterfly(蝶)は、Hanae Mori の象徴であった。
二〇〇四年の夏、長らく務められたオートクチュールのランウェイを去られる時がくる。
欧米各紙の見出しには森英恵の業績を讃えてこうあった。
Goodbye Butterfly.

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