百三十四話 作家が挑んだサンドイッチ

⎡そろそろ昼飯を作ろうかなと思ってたんだ。
(中略)
紀ノ国屋のバター・フレンチがスモーク・サーモン・サンドイッチにはよくあうんだ。
うまくいくと神戸のデリカテッセン・サンドイッチ・スタンドのスモーク・サーモン・サンドイッチに近い味になる。
うまくいかないこともある。
しかし目標があり、試行錯誤があって物事は初めて成し遂げられる。⎦
ノーベル文学賞作家、村上春樹先生の長編小説 ⎡ダンス・ダンス・ダンス⎦の一節に、
その店屋は登場している。
一九四九年の神戸。
ひとりの外国航路の船乗りが北欧でスモークサーモンやハムやソーセージの製法を学び帰国した。
そして、港町にある坂道のなかほどで一軒の店屋を開く。
坂道の名を冠した日本初のデリカテッセンである。
⎡ Tor Road Delicatessen ⎦
以来ずっと地元で愛されてきた。
まず神戸に住まう人で名を聞いたことがないという方は少ないと思う。
今ではちょっと有名であれば何でも並べたがる百貨店のおかげで大阪辺りでも買えるようになった。
ありがた味が薄れたと嘆く人もいる。
だが、このトア・ロードの坂を登らないとありつけない喰いものもある。
店左側にある薄暗く狭い階段を二階へと上がるとサンドイッチ・スタンドになっている。
先生ご推奨のデリカテッセンのサンドイッチは昔から此処でしか喰えない。
いつだったか、随分前のクリスマス・イブに義理の母が大きな包みを抱えて神戸からやって来た。
包みの中身は、
スモーク・サーモンやロースト・ビーフやチーズ&ハムがそれぞれに挟まったサンドイッチだった。
見た目には味も素っ気もなく三種類が別々にラップで包まれている。
サーモンならサーモン、ビーフならビーフ、余計なものは一切入れ込まない。
薄切りのパンに薄くスライスされた具材が挟まれていて四ミリほどの厚みに仕立てられている。
これほどまでに薄く簡素なサンドイッチは見た事がなかった。
名物だというスモーク・サーモンのサンドイッチから口に入れる。
厚みがない割に食感はしっかりとしている。
一口目は少し頼りないような塩加減だが、
食べ進むと尖った塩辛さもなく柔らかで丁度いい塩梅となる。
だが何と言っても此処のサンドイッチでなければと足を運ばせる訳は、
絶妙に燻煙乾燥されギュッと旨味が凝縮された燻製鮭にある。
西欧ではキング・サーモンが一般的だが、日本人の口には脂が少し重く感じられる。
なので日本では紅鮭が使用される場合が多い。
そういった理由からかデリカテッセンも紅鮭を用いている。
それもアラスカの Copper River で産卵前に捕獲された紅鮭だけを選んでいるらしい。
何故 Copper River なのか?
何故産卵前なのか?
産卵後の鮭は値が安くなるというから味も落ちるのかもしれない。
よく知んないけどなんかちょっと聞くには有り難味が増す話でもある。
僕は普段あまり酒を嗜まないがさすがにスモーク・サーモンに水という訳にはいかない。
そこでちょっと何のどんな酒が合うのか考えてみる。
燻製は木や香草の香りが移り味も生の鮭より強くなる。
樽の香りがしっかり残るChablils に代表されるブルゴーニュ産の白葡萄酒が合うと言われている。
それもそうなのだろうけど、もう一息強さが欲しい気がする。
そこで思ったのがロゼ。
タンニンこそ感じないが途中までは赤葡萄酒と同じ製法で仕込まれ強さが残る。
この渋みのない強さは意外とスモーク・サーモン向きかもしれない。
いまひとつ是非試していただきたいのが日本が誇るピュア・モルト・ウィスキー。
余市蒸留所が仕込む日本のウィスキーの父“竹鶴政孝”の名を掲げた⎡竹鶴⎦
ニッカさんの言葉を借りれば、
力強い余市モルトと華やかな宮城峽モルト。
ふたつの違った性格を持つ最高品質のモルトをヴァッティングさせたピュア・モルト・ウイスキー。
故郷スコットランドを完全に凌いだと称される銘酒中の銘酒である。
やっぱりスモーク・サーモンにはこれかな。
こうやって書いてるとえらい酒飲みに思われるかもしれないけど。
ぜ〜んぜん弱いですから飲みに誘わないでね。

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