百三十八話 Trench Coat

また買ってしまった。
春と秋の季節の変わり目になるといつものように嫁が言う。
⎡たいして外も出歩かないのにまたコート買うのぉ?⎦
⎡何処着て行くのぉ?⎦
全くおっしゃるとおりである。
洋服箪笥には薄いのから厚いのまでずらっとコートが並んでいる。
中には擦切れてボロボロのも在る。
それでもまだ在る。
そして季節が変ると新しいのがまた増える。
もう三十年近く変らず続いている。
⎡さすがにちょっとした病かもな⎦
⎡気づくのが遅いよ⎦
⎡でも好きでやってんだったら別に良いじゃん⎦
⎡ここまできたら死ぬ迄やってれば⎦
という有難い声に従って写真の Trench Coat を買った。
コートは不思議な服種であると思う。
着ているコート自体やその着方によってその人の生活感や意識までもが端的に表れる。
しっかりと身に馴染んだコートを着ていればの話だが。
そういった理由からか映画の印象的なシーンにおいてコートはよく登場する。
Trench Coat に限ってちょっと思いだしてみると。
1942 “ Casablanca ” Hunmphrey Bogart
1970 “ Le Cercle Rouge ” Alain Delon & Yves Montand
1978 “ Revenge of The Pink Panther ” Peter Sellers
1992 “ 紅の豚 ” Porco Rosso
2001 “ Spy Game ” Robert Redford
まだまだあるけど大体こんな感じかな。
でも僕にとってはぜ〜んぶどうでも良くって最高の一本は別にある。
しかも、着ているのは俳優じゃなくって女優。
一九七一年公開の “ Le Mans ”
主演は Steve McQueen で仏二十四時間耐久カー・レースを題材にした映画なんだけど。
此処に Lisa Belgetti 役で Elga Andersen という女優が登場する。
もともとこの作品には台詞がほとんど無い。
彼女も黙っていて話の中でこの役どころが何故に必要なのかも解らない。
しかしこの独逸出身の女優が堪らなく魅力的で印象に深かった。
寡黙で表情を崩さず Trench Coat を無造作に纏って佇んでいる。
大人の女の色気って凄ぇなぁと思った。
当時中学に入ったばかりのガキだったけど。
Trench Coat ほどあらゆる垣根を越えた服種はない。
男も女も共に着る。
白人も黒人も黄色人種も着る。
軍人も銀行家も学者もホームレスでさえも階級や職業を越えて着る。
学生から老人までもが着る。
戦場から高級ホテルまで場所を選ばずに着る。
それでいて着る人によってここまで大きく印象が異なる服種もないだろう。
創るに難しく着るに難しい服だが魅力は尽きない。
08 SIRCUS の Trench Coat はデザイナー森下公則氏が創りました。
Historical Item に新しい解釈で挑んでいます。

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