百三十九話 Ai Wei Wei という男

まだ憶えてますか?
北京オリンピックのメイン・スタジアムとして建設された北京国家体育場です。
“鳥の巣”と皆が呼んでいた代物だ。
デザインを芸術顧問として主導したのはひとりの中国人現代芸術家だった。
僕はその名を聞いた時中国はきっと変るのだと信じた。
まったくもって裏切られたんだけど。
浅はかにもその時はそう思った。
その現代芸術家は Ai Wei Wei と言う。
Wei Wei は漢字で “ 未来 ” と記される。
父親は高名な詩人であった Ai Qing 母親の Gao Ying も同じく詩人であった。
父親の Qing は文革の時代新疆ウイグル自治区の労働改造所に送られる。
北京電影学院時代の同期には、
⎡ Promise ⎦ の陳凱歌や ⎡ Lovers ⎦ の張芸謀らの世界的映画監督がその名を連ねる。
芸術家としての血統はこの上なく正当だろう。
そして Wei Wei は社会活動家というもうひとつの顔を持っている。
そのせいで一九八〇年代には米国で活動する事を余儀なくされる。
僕はその頃ある雑誌編集長の勧めによってニューヨークで Wei Wei の作品と出逢った。
現代美術はその作品背景と意図を知らされなければ理解するのが難しいものが多い。
Wei Wei の作品もそうだった。
解説されて始めてふ〜んそうなのかとなる。
こんなあたりまえの事をこんなにもまわりくどく表現しなければならないのかと思った。
正直なところある種の苛つきと喉に異物が引かかったような息苦しさを憶える。
その感覚こそが Wei Wei の訴えたかった現代中国が抱える病巣だったのかもしれない。
中国はその頃とは比較にならない経済規模を誇る大国となった。
しかし病はいまだに巣くったままのように思う。
あたりまえのことをあたりまのように表現出来ない国家体制に変る兆しは見えない。
先日、日本の報道取材に応えている Ai Wei Wei の姿がテレビに映っていた。
北京郊外草場地芸術区に自身設計のアトリエを構えており取材はその中庭で行われていた。
Houston Street の南に在ったかつての Soho を想い起こさせる煉瓦造りの倉庫風アトリエである。
そのアトリエ兼住居も厳重な公安当局の監視下にありよく取材出来たものだと思う。
Wei Wei 独特の静かな口調で語り始めた。
Wei Wei は親日家ではないと思う。
と言うより母国の未来の事で頭が一杯で他国の事等に気を配っていられないというところだろう。
なので中国目線で今日の尖閣問題に触れた。
⎡人権は主権に優先する⎦
⎡人権で多くの問題を内部に抱える国家が主権を云々する資格はない ⎦
至極あたりまえでいて正しく強い言葉だと感じた。
なんで日本人はこの言葉を口にしないんだろうか?
政治家であれジャーナリストであれ Wei Wei よりずっと安全な場所に居るのに。
ちょっと残念だね。
政治と芸術は違うという人もいるけど。
この Ai Wei Wei という男の声に今一度耳を傾けるべき時かもしれない。

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