百四十一話 最強のふたり

台風十七号が去った翌日。
自宅の庭も大概の始末に追われたので海辺の家の庭も同じ事になってるんじゃないかと思った。
住んでいる義理の母が言うには木が家に向かってくるようだったらしい。
仕事を終えて神戸に向かう。
着いて庭を見ると藤や桜の葉がそこら中に飛散っているものの始末に大変というほどでもない。
家主の方も体調が良さそうだ。
その母が訊いてきた。
⎡明日なんか予定ある?⎦
⎡剪定と庭の掃除くらいですかねぇ⎦
⎡それ終わったら映画観に行かない?⎦
⎡いいですけど、目当てのものでもやってるんですか?⎦
⎡最強のふたり⎦
⎡あぁ、あの車椅子に乗ったオッサンの仏映画ですか?⎦
⎡そうそう、そのオッサン観てから食事でもしようよ⎦
母と僕の嗜好は意外と遠くない。
庭もそうだが小説なんかも僕が読み終ると次に母が読むという具合だからなんとなく近い。
昼過ぎに庭仕事を終えて三宮駅傍の劇場で観ることにする。
予定していた訳でもなかったので全くどんな話か知らずに観た。
事故の後遺症で首から下が麻痺した富豪が介護役にと刑務所を出所したばかりの黒人移民を雇う。
巴里を舞台に最上流と最下層に生きる富豪と貧民が共に暮らして無二の親友となる。
とまぁこんな筋なんだけど驚くことに実話に基づいているらしい。
映画作品としても間違いなく一級品だと思うし単純に笑える。
仏人自身または仏人と係わりを持ったことのある人間が観るとなおのこと面白いと思う。
仏人の三人にひとりが観たという口上にも頷ける。
仏人というより Parisien とか Parisienne と呼ばれる巴里人なんだけど。
これほど難解で御馬鹿で可笑しな連中はいない。
我儘で、怠慢で、猥褻で、強欲で、辛辣で、頑固で。
人間だから皆こういう悪徳を背負っていてそれを何とか 繕って日常を生きている。
ただ巴里人はよそ者より少し繕う分量が少ない。
だから時々悪徳が表に出てしまう。
で結局のところ良い人なのか悪い人なのか解らない難解な人達ということになる。
彼等の目指すところは全く繕わず人間臭く自由で奔放に生きるところにある。
好きな相手と付合いが深くなるにつけ繕う分量がどんどん減ってくる。
十年も経つと男女や貧富に係わらず馬鹿丸出しの関係に仕上がる。
そういう相手とのめぐり逢いを生涯をかけて求める。
もしうまくめぐり逢えば人生は最良のものとなると信じている。
巴里人は人生を楽に生きる達人だ。
どんな難儀が降りかかろうとしなやかに強く飄々と生きてく。
原題 “ Intouchables ” は不思議な言葉だが “ 最強のふたり ” と訳された邦題は中々に粋だ。
Ending roll の冒頭に実在の最強のふたりがスクリーンに登場する。
めぐり逢いによって最強となったふたりの最良の人生。
誰も世界を救わない。
絶世の美女も登場しない。
身障者を題材にしながら偽善的な美談もない。
巴里と仏北部の輝く風景と上質な笑いがあるだけ。
こういった映画が劇場を観客で埋めるなんて仏映画界の底力も尽きてはいない。
それにしも主役を務めた俳優 Francois Cluzet の職人的名演技は素晴らしい。
ってこの人誰?

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