百六十六話 日本人は日本を知らない

この稼業に就いて三十年以上経つ。
その間、紳士服飾業界で圧倒的な成功を収めたデザイナーは?と問われると。
Ralph Lauren, Giorgio Armani そして三人目には Paul Smith を挙げると思う。
取引先だった会社が契約をするという事もあって英国の Paul Smith 氏の店に出向いた。
一九八三年頃だったと思う。
倫敦 Covent Garden に 故郷 Nottingham に続いて二店舗目となる店を構えたばかりだった。
Covent Garden は、City of Westminster 倫敦特別区に位置し十六世紀から卸売市場として栄えた。
映画 ⎡ My Fair Lady ⎦ で Audrey Hepburn が野菜を買うシーンにも登場する。
しかし、長く続いた卸売市場も一九八〇年からの再開発で役割を終える。
流行の先端をいくショッピング街に姿を変えつつあった。
その先陣を担ったのが Paul Smith の店だった。
Paul Smith 氏は店にいて自ら熱心に商品について語ってくれた。
もともと気さくな方だし、その頃は著名デザイナーというよりは店主だったから当然かもしれない。
正直品質には首を傾げざるをえなかったが、
ひょっとしたらこの人只者じゃないかもと思わせるものがあった。
マスタード色のハリス・ツィードのジャケット。
英国伝統素材をキッチュな色糸で織上げている。
⎡凄い色のジャケットですねぇ⎦
⎡これを戴きたいんですけど、日本に帰っても合わせる服が思いあたりません⎦
⎡I’m a clockwork orange⎦
⎡時計仕掛けの蜜柑?⎦
Stanley Kubrick の映画かと思ったが違っていて、倫敦の下町言葉で “ 変人 ” を意味するらしい。
結局、首から下の全てをコーディネートして貰う。
倫敦名物 “ 二階建バス ” が編込まれた靴下まで買う羽目になった。
しかし、これが後に世界を席巻するPaul Smith 流販売術であり、
それを本人から授かったと思えば安い買いもんだと思う。
その翌年に日本企業と契約を結び、度々日本を訪れるようになる。
Paul Smith 氏は、徹底した現場主義者で偉いさんとの会議や会合を嫌い店舗に向かいたがる。
時には店の販売員と食事をしたり騒いだりもする。
言葉が通じなくても身振り手振りで細かく想いを伝えようと自ら笑顔で寄っていく。
声を掛けられた者は一瞬にして信奉者になる。
この人間力は、神業に近いと思う。
⎡この人、ひょっとしたら英国首相になるかも⎦ と本気で噂してたこともあるくらい凄い。
それから二十年近く経った頃、嫁と Milano に在る “ Cafe Cova ” で珈琲を飲んでいた。
年明けの寒い日で、早朝という事もあって客は白髪の老夫婦だけだった。
⎡ It’s a cold morning. ⎦
⎡ How are you ? ⎦
白髪の老夫婦は、Smith 御夫妻だった。
⎡ Fine thank you Sir Smith. ⎦
⎡ Are you also fine Sir?⎦
もう Mr. Smith とか Paul San と呼べる存在ではない。
功績が認められ女王陛下より大英帝国勲章を授勲された Knight Commander で、 Sir の称号を持つ 。
僕の名前なんて記憶に無かったと思うが、どっかで見た奴だくらいの印象は残っていたのだろう。
それでも名誉な事だと思う。
先日、そんな Paul Smith 氏が日本の報道番組に出演されていた。
日本のある縫製工場とそこで働く針子さん達を取材した番組だった。
一着のジャケットを手に語っていた。
⎡これは、世界中の縫製工場に依頼して全て断られたジャケットです⎦
⎡しかし、日本のこの工場だけは平然と快諾し完璧に仕上げてくれた⎦
⎡今や日本は、世界中のメゾンやデザイナーにとって欠かすことのできない技術を持っている⎦
⎡もし無くなれば、たちどころにクリエーションは停滞し大幅に制限されるだろう⎦
ベテランの針子さんも登場する。
⎡私達は別に特別な仕事をしているつもりはない⎦
⎡私達は一日に多くの服をみんなで縫上げるけど、買って下さる御客様にとっては一着の服です⎦
⎡そう思って手は絶対に抜かない、それだけだね ⎦
⎡言っとくけど中国になんか絶対に負けないから⎦
いつだってそうだが、日本人は自国の評価を他国に委ねる。
外国から凄いねとか良いねとか言われると、そうなのかと思い至る。
同じ日本人から言われても、いまいちピンとこない民族みたいだ。
今、日本人の何割の人が MADE IN JAPAN の服を着ているだろう?
おかしな話だと思う。
なにかにつけ、日本人は日本を知らない。

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