百七十二話 孤高のパン屋 Le Sucre Coeur

あらかじめ断っておくが、僕はパンの味をあれこれ言う程の食通でもなんでもない。
だから、性根を入れて人生を懸けてパンを焼いておられる職人の仕事を評するには無理がある。
それを承知で近場にあるパン屋の話をしてみたい。
八年前か九年前か定かではないが、一軒のパン屋が自宅近くの住宅街で商いを始めた。
⎡こんな場所で大丈夫なのか?⎦と他人事ながら案じるような立地である。
暫く経った頃、何処からか噂を聞きつけてきた嫁が言う。
⎡あのパン屋さん、なんか凄い人がやってるらしいよ⎦
⎡へぇ〜、今から行ってみる?⎦
⎡ 今日は無理かも、種類によっては予約しないと駄目みたいよ⎦
⎡嘘だろぉ〜、言っちゃぁなんだけどあんな場所でぇ?⎦
しかし、嫁の言ってることは嘘でも大袈裟でもなかった。
“ Le Sucre Coeur ” という屋号をもつパン屋の繁盛ぶりは半端ではない。
そして、御主人の岩永歩さんも只者ではないらしい。
巴里で名高い “ Maison Kayser ” の創業者 Eric Kayser 氏の元で修行し、氏の信頼も高かったという。
今だにお目にかかったことはないが、かなり仕事には厳しい人なんだそうだ。
先日の休み、近くで昼飯を喰った帰りに久しぶりで立寄った。
月曜日の昼過ぎだというのに店頭のパンは残り少ない。
それでも御店の女性から懇切な助けを受けていくつかのパンを求めることができた。
せっかくなので、写真手前のふたつを店員さんの受売りで紹介させてもらいます。
手前右の ” Torsade ” 捻るという意味そのままを名としたパン。
この ” Torsade ” は、ソテーされたセップ茸を赤ワインとフォン・ド・ヴォーで煮詰めた後、
砕いた胡桃と黒胡椒を合わせて生地に錬り込み捻って成形し焼上げたパンだと訊いた。
“ Torsade ” の左が “ Pain au Seigle ” 一般的なライ麦パンだ。
昔はライ麦の比率が七〇%だったらしい。
その比率を五%増やし合わせる塩をスモーク・ソルトにしたと言う。
ライ麦のくぐもった香りを、スモーク・ソルトの燻した香りが下支えするイメージ。
モチモチしたクラムと強く焼き込まれた表皮の香ばしさの対比が秀逸だとされる主人渾身の作。
こんな口上を電子レンジも満足に扱えない馬鹿オヤジに話しても無駄だと思う。
それに、多分語らなくても何の問題もなく売れていくのにその女性店員は熱心に語る。
百貨店やスーパーでこれをやられたら間違いなく立去るが、不思議と耳を傾けたくなる。
街場でパンを焼いて近隣の住人に供する。
この店員さん、そういった仕事がほんとうに好きなんだろうと思う。
パンが主食となる仏では、医師などと並ぶ名誉な職業とされ敬われている。
代々血統に受継がれる職業の代表で、大体が家族で営まれ旦那が焼き嫁が売るといった具合だ。
一般的に算術の才が乏しいとされる仏人にあって、パン屋の嫁は抜群の算盤能力を持つ。
夫婦共に選ばれし職業人でなければ務まらない。
一九七八年までは、 baguette は価格統制品とされ旨かろうが不味かろうが同じ値で売られていた。
それでもパン職人達は baguette の味を競い手を抜く輩はいなかったという。
パン屋の女将さんが、通りすがった物乞いに baguette を手渡す光景を巴里で時々見かける。
お得意の博愛精神からだけではなく、
地域の食を守護する者としての職業意識がそうさせるのではないかと思う。
“ Le Sucre Coeur ” の店構えや味には、そんなパン屋の崇高な精神が宿っているように感じられる。
巷で言う “ 行列のできるなんとか ” というような風情は微塵もない。
高い志で営まれている街場にある一軒の店屋。
地元の民が誇る孤高のパン屋 “ Le Sucre Coeur ” でした。

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