三百五十五話 ほんものの野菜

先日、農業に生業を転じられた御客様がやって来られた。
今はまだ修行の身なのだそうだが、師匠の元で自らが育て収穫されたという野菜を戴いた。
写真には収まらないくらい沢山抱えて、雨の中をわざわざお越しくださった。
立派な野菜だ。
そして美しい。
戴いたからそう言うのではない、ほんとうに見事だと思う。
お話しを訊くと。
これらの野菜は、スーパーや百貨店の食材売場には並ばないのだそうだ。
都会の特設会場を借りて、そこでの直売を試みていかれるという。
自ら栽培し収穫した野菜を自らの手で消費者に届ける。
そういう流通形態を目指されていて、思いの外に好評らしい。
そういえば日本でも。
“ 巴里人の胃袋 ”と呼ばれる Marche みたいな市場を、都心の一等地で見かけるようになった。

東京なら、青山に在る国連大学の敷地内で催される “ Aoyama Famer’s Market ”
大阪なら、梅田のグランフロントに設けられている “ 旬食 Marche ”
なんかもその類だろう。
僕は、もっともっと増えて巴里のようになれば良いと常々願っている。
巴里の Marche には、いろんな形態がある。
露天型・屋内型・常設型・専門型というように、街のそれぞれの界隈で営まれいる。
BIOと掲げられた有機に特化した専門型 Marche などもあって、あらゆる食材が並んでいたりもする。
営業している曜日や時間帯もまちまちで、都合と目的に応じて買出しに出掛けるといった具合だ。
それぞれの地方から持ち寄られる品は、個性があり品質もよく値も安い。
そして、なにより売手は、生産者自身やその血縁や地方の仲買人達である。
いづれも、商いものには精通した玄人中の玄人で。
食材そのものについてから調理法に至るまで、およそ知らないことはない。
なんでも売るという商いは、どうも胡散臭くていけない。
ひとつの物事を知って他人に伝えるには、それなりの時間と手間と努力を要するのだと思う。
昨日今日でというわけにはいかない。
土を触ったこともない人間が仕入れ、クックパッドを睨みながら料理している人間が売る。
日本の都市圏の小売現場は、そんな感じかもっと酷いかもしれない。
流通大手なんだから、規模による効率化が図られていて価格が安いのかと思いきや。
実際には、質に比べて値も高い。
全然駄目じゃん。
もう、大艦巨砲主義に基づいた流通形態も限界に近づいているんじゃないかなぁ。
だから、こういう事業体は、懐が温かくなった隣人にでも根こそぎお買上げ戴いて。
僕らは、土が付いたまま新聞紙に包まれた野菜を露天で求める。
そんな真っ当で成熟した時代が、やってくるかもしれない。
さて、戴いた野菜だが。
そのまま生、鍋、スープ、グラタン、ガーリックソテー、ポトフなどに。
美味すぎるくらいに美味い!

ありがとうございました。

 


 

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