海辺の家の東側に見える明石海峡大橋です。
そして、航行安全用の明かりは、大晦日バージョンに切替りました。
訊くところによると二八パターンもあって、時々に夜空を彩るらしい。
主塔の高さは、海面から二九八.三メートル。
東京スカイツリー、東京タワー、あべのハルカスに次ぐ高さなのだそうだ。
こんな世界最長の吊り橋も、竣工から十六年という月日が経つとすっかり風景に馴染む。
住人達は、普段ことさらに見上げないし、灯の色が変わっていても気づかないこともままある。
橋を企画管理している方々にとっては、少々甲斐のない始末ではあろうが。
そうなのだから、しょうがない。
僕が、初めて海辺の家を訪れた三六年前には、もちろんこんな吊り橋は無かった。
だけど、橋が無かった頃の情景を想い浮かべようとしても、いまいちボヤけていてうまくいかない。
それほどに、もう橋の在る景色があたりまえになってしまっているのだろう。
ひとの記憶なんて、いい加減なものである。
向島や阿倍野の下町から見上げる塔やビルも、やがてはそうなるんだろうと思う。
街場の情景は、そこに暮らす人々が好むと好まざるをよそに変わっていく。
この港街も、変わった。
吊り橋のように新しく描かれたものもあるし、逆に掻き消されたものもある。
かつて海沿いに建ち並んでいた古びた洋館が取壊され、高層マンションへと姿を変える。
情緒的には残念な気もするが、実利的には功を奏した。
街場で暮らす人の数は増え、寂れることなくこうして賑わっているのだから。
やはり、情緒が実利に勝るといったようなことは起きないのかもしれない。
たいていの物事には、それぞれに役割が備わっているものだが。
時が経つとその役割も新しい担い手が現れ、代わって果たされるようになる。
今の時代では、役割そのものが 無くなったりもする。
十六年前まで、島へと人や貨物を渡す役割を担っていたのは船だった。
吊り橋が竣工した時、その船舶会社の存続を皆が危ぶんだのだが、それでも運行は続けられていた。
だが、昨年の春、明石港と岩屋港を結ぶフェリー航路は、五八年の歴史に幕を閉じることになる。
当事者の方々にとっては一大事であったろうけれど、街場の暮らし向きにはさほどの変わりはない。
島から商いものを仕入れている駅前の卵屋の婆さんが、 世も末だみたいなことをほざいていたが。
最近では、自分達が船に頼って商ってきたことすら忘れてしまっている。
こんな巨大な吊り橋にしてそんな具合なのだから。
街場に在る店屋の新陳代謝など、いちいち気にかける話でもない。
古い店屋の幕が降りて、新しい店屋の幕が上がる。
ただそれだけの事だろうし、またそうでなくてはならない。
今年一年 Musee du Dragon をご愛顧賜りまして有難うございました。
また、こんな拙い blog を一年間お読み戴きましたことを感謝申し上げます。
新年の営業は、一月三日より始めさせて戴きます。
新たに迎える年が、皆様にとって良き一年となりますように願っております。
それでは、良いお年をお迎えください。