三百二十七話 退行か?それとも進化か?

Musée du Dragon の皆が、あるひとつの電話番号を憶えている。
自宅の番号より、実家の番号より、友達の番号より、誰の番号より馴染み深い。
なぜなら、掛ける回数が一番多いから。
でも、短縮ダイアルへの登録は、誰もしようとしない。
なぜなら、その番号を廻さなくて済むならそれにこしたことはないと、誰もが思っているから。
この呪われた電話番号を廻す時には、かならず良からぬ事態に見舞われている。
呼出し音の後には、決まって電話口にひとりの男がでる。
御存知 ANSNAM デザイナー 中野靖だ。
撚り上がりは? 織り上がりは? 染め上がりは? 縫い上がりは? 洗い上がりは?
間に合うのか? 間に合わないのか?
それよりなにより、できるのか? できないのか?
帰ってくる答は、いつも。
「大丈夫ですよ」
そして、大丈夫だったためしはない。
デビュー以来、一〇年近くずっとこんな調子だ。
年々酷くなっている気さえする。
Musée du Dragon にとって。
とても残念な事には、この ANSNAM じゃなければ駄目だという顧客を多く抱えてしまっている。
さらに残念な事に、この ANSNAM の服創りは、中野靖以外の人間の手には負えない。
では、一体その服はどういったものなのか?
二〇一四年冬、すったもんだの末にようやく届いた服がこれだ。
詳しくは、二百六十七話に載せてあります。
興味があるという薄ら病んだ方は、一度お読み戴けたらと思う。
蚕が吐出した繊維を繭にせず引出し、糸として紡いでいくことから始まる闇の話である。
手紡ぎ、手織り、手染め、手縫い、手加工と、失われつつあるひとの技を繋げていく。
だが、ありがちな泥臭さの一切を排し、あくまでも先鋭的な仕立服として着地させている。
古来の手法と前衛な意匠。
中野靖の間違った脳内構造が産み出す ANSNAM の世界観。
これは、退行か?それとも進化か?
目にしてはいけない、触れてはいけない、ましてや絶対に喰ってはいけない、禁断の果実。
怖ぇ〜。

つうか、別注のパンツもセーターもまだ届いてねぇぞぉ!

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