三百六話 ANSNAM 中野靖が、迷走の果てに辿り着いた先とは?

「ちょっと打合せしたいことがあるんだけど、今時間ある?」
「すいません、ちょっと手が離せないんで、今晩にでもこちらから連絡します」
って言ったきり、二日経っても三日経っても梨の礫である。
痺れを切らして、再度電話すると。
「あっ、一昨日はすいません、いや、昨日もすいません、あ〜ぁ、今日もかぁ〜」
「そうやって憶えてんのに、返事を寄越さねぇっていうのは、どういう了見なんだよ?」
「ひょっとして、俺の事嫌ってるのかぁ?」
「へっへっへっ」
昔っから、万事この調子で。
最近ようやく解ってきたけど、この男は、ふたつの事柄を同時に処理出来ないようだ。
また、もの事を順序立てて考えるのも苦手みたいだ。
そのうえ意外と頑固で、他人の言う事は基本聞かない。
実際、なんの因果でこんな男と出逢って、なんでこんな長い間付合っているのかと思う事がある。
こうやって書くと、身も蓋もないどうしようもない人間のようだが。
天は、欠落した多くと見合うひとつの才能をこの男に授けたように思う。
それは、服を創るという才で、幸いにしてその才が生かされる稼業に就いている。
ANSNAM デザイナー 中野靖そのひとである。
デビュー以来一〇年近い付合いになるが、いまひとつ狙いが定まっていなかったように思う。
だが、ここ数シーズンの仕事振りには、
模索すべき事がなんであって、その結果成すべき事がなんであるかが、はっきりと見て取れる。
それは多分、中野靖でしか到達しえない領域でのクリエーションなんだろう。
あたりまえの事だが、ほとんどの衣服は糸からできている。
しかし、一着の服を 原糸工程から発想し、
いくつもの中間工程に於いて特異な手法を駆使し、
仕立という最終工程に着地させるという流儀を、
服創りに課しているデザイナーが果たして何人いるだろうか?
それでも、我々は、そうやっていると答えるデザイナーはいるだろうが、
ほとんどはメゾンという組織としてであり、チームとしてであって、
全てをたったひとりでとなるとあまり聞いたことがない。
たったひとりなんだから、納得するまでやって、納得できなければ、まるごと棄てる。
結果、コレクションが、ジーンズ一本という体たらくな事態も生じたりもする。
ほんとなら、勝手にやってればという始末だろうが、それが中野靖の流儀なんだからしょうがない。
もうひとつ違った視点から、この男の仕事を眺めると。
かつてそうであったように、服創りが、ひとの手で一着づつなされていた時代を想起させる。
だが、ANSNAM の服には、懐古的な要素は見受けられない、 どちらかと言うと前衛的ですらある。
懐古的な意匠というわけではなく、各工程で用いられる手法が、ひとの手によるという事なのだ。
手紡ぎ、手織り、手染め、手編み、手縫いといったように。

“工芸手法を用いた前衛的仕立服”

これが 、孤高の奇才中野靖が、迷走の果てに辿り着いた先ではないのか?
まぁ、だからと言って、僕がこの男と付合って良かったということになりはしないが。
巷のくだらない服を、ああだこうだと言っているよりは、ずいぶんとマシではある。
面倒臭いことこの上ないけど。

さて、二〇一五年春夏 ANSNAM Collection については、
追々、この blog でもお伝えするつもりでおりますが、予約などご興味がおありの方は店頭まで。

 

 

 

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