二百九十三話 モトマチ喫茶にて  

 

その昔、海辺の居留地と山手の異人館を南北に結ぶ通勤道路として、Toa Road は通じていた。
距離は約一キロ程の坂道で、行交う人々の風情は変わったが、道は道として今も在る。
坂を北に登り詰めると、神戸外国倶楽部で、そこが終点となる。
訊いた話では、神戸外国倶楽部が在る場所は、かつてホテルだったらしい。
“ Toa Hotel ” という屋号で、“ Toa ” を、そのまま道の名称へと転じたという説もある。
一九五〇年に焼失したホテルは、こんなだったようだ。

この Toa Road の西側を Toa West と地元では呼んでいる。
今では、服屋や、雑貨屋や、カフェが立並ぶ小洒落た界隈だが、学生の頃は違った。
海運関係の事務所、仕立屋の工房、中華料理店、床屋等が、路地を埋めていた。
どれも、家を改造して営んでいるような小さな商いである。
“ 三刃 ” という華僑の言葉は、この地で産まれたという。
料理・仕立・理髪いづれも包丁や鋏といった刃物を用いる商売だ。
三刃の内どれかひとつを身につければ、異国での糧に通じるという華僑の教えなのだそうだ。
此処は、そんな教えを地で行くような下町だった。
つい最近、嬉しい喫茶店を見つけた。
“ モトマチ喫茶 ”
仮名文字会が、カタカナを普及させようとしていた時代の書体で、扉に記されている。
内も、外も、昭和なんだけれど、ことさら時代感を強いているわけでもない。
壁、床、窓、机、椅子、カップ、皿、スプーンなど、隅々まで嗜好が行届いているが、控えめだ。
店主は、もの静かな線の細い男で若い、三〇歳前後だろう。
いつも、一九七〇年頃流行ったプリント・シャツを着て出迎えてくれる。
通う客は、男女とも五〇歳を越えた昭和世代である。
場所柄多いはずだが、昭和レトロ好きの若い客に出逢った事はない。
この若い店主、難しい商いをする男だ。
時代を知らない店主が、時代の空気感を再現し、時代を生きてきた客をもてなす。
僕もそうだが、昭和を狙った町屋カフェなどには、絶対に入らない。
なんか馬鹿にされているような気がして、嫌だ。
こういった風情を僕以上に嫌う嫁が、店主に訊く。
「あなた、この珈琲カップとか使われていた時って、産まれてなかったでしょ?」
また、いきなり其処を突いてやるなよぉ。
「えぇ、則武陶芸とか、鳴海製陶とか、おばぁちゃんの時代ですね」
おいおい、あんたも空気読めよ、おばぁちゃんはマズイだろう?
「大蔵陶園とかも、リアルに知ってるから、わたしも、おばぁちゃんってことよね」
ほ〜ら、こういう話の流れになっちゃうじゃん。
「ねぇ、みんなこの型だけど、この型が好きなの?」
「そういやそうですね、この逆台形みたいな型が好きなのかもしれません」
「そう、良いね、こういうの、勝手が良くって、気遣いなく使えて 」
おっ、珍しく話が合ってんじゃん。
「この御店って、もう長くになるの?」
「五年になります、それ以前も別の方が喫茶店をなさっていたんです」
長年、店屋と顧客が培ってきた空気感は、場に染み付いていて一朝一夕に醸し出せるものではない。
若い店主は、その店屋特有の事情をよく承知していて、路地裏で長く年を重ねたこの店を買った。
“ Eight Charmant ” という喫茶店で、三〇年以上に渡り営まれた老舗だったらしい。
居抜きで求め、かつての趣に似合うように、什器や食器等をひとつひとつ揃えていったのだという。
土地に馴染み、住人の邪魔にならず、ひっそりと商う。
これこそが、街場に於いて、店屋のあるべき姿だと思った。
この米本武生さんという店主の見識には、正直頭を下げざるをえない。
丁重に淹れられた珈琲、苦味の効いたカラメルを合わせたプリンも。

過不足ない “ モトマチ喫茶 ” に相応しい味だ。
学生時代、Toa West は、僕と嫁にとっての遊び場だった。
「あなたは知らないだろうけど、この辺りも変わったよねぇ」
夫婦で、その頃の他愛ない昔話をする。
若い店主は、知らない話だろう。
一九九五年一月一七日以降、いろんな憶いもあって、この界隈に足が向くことがなかった。
また、かつて在った店屋や、そこに居た人達の話も、なんとなく互いにしなかった。
随分と久しぶりなような気がする。
この界隈に、今また訪れ、こんな話ができるようになったのも、“ モトマチ喫茶 ” のお陰かも。

感謝です。

 

 

 

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