二百七十九話 Bedouin が、遺した布。

僕には、何かを収集したりとかいう癖はない。
他人は、意外に思うかもしれないが。
モノへの固執度合いは、そんなに高い方ではないのかもしれない。
だから、壊れたり、なくなったりして、途方に暮れたりすることもあまりない。
大概のものは、同じか、それ以上の機能のものに買替えれば済むから。
たけど、そうはいかないものも、なかにはあって。
これも、そのひとつである。

砂漠の民 ベドウィンが、暮らしのなかで実際に使っていた布。
布は、キリムと呼ばれていて、十九世紀のベドウィンが遺した。
その昔、駱駝にまたがり輸送業を営んでいた者達をベドウィンと呼んだ。
砂漠の宅急便屋みたいなもんだろう。
よく遊牧民と勘違いされるが、運搬業と放牧業という生業の違いから、生活様式が異なる。
遊牧民は、主に牧草地で、ベドウィンは、砂漠で暮らす。
その姿は、広くサハラ砂漠の大西洋岸から、アラビア砂漠へと伸びるほぼ全域で見られる。
いや、正確には見られた。
一九五〇年代頃から、伝統的移動生活を捨て、都市部で暮らし始め、今では砂漠に彼等の姿はない。
遊牧民にとっては、干ばつによる牧草地の減少が、
ベドウィンにとっては、交通手段の発達による需要の減少が、暮らし向きを悪くさせたらしい。
キリム自体は、定住者となった今でも織られているのだが。
ベドウィンが、純粋な砂漠の民であった時代。
その暮らしの中で、織り上げ、繕いながら、世代を超えて継いできたキリムとなると、数は少ない。
とても、希少な布といえるだろう。
この布にも、数世代に渡って、空いた穴に別布をあてがい繕われた痕が、幾つも残っている。
紋様には、それぞれに意味があって、この布を読み解くと。
Ejder 紋様は、龍を表し、龍は、大気・水の支配者の象徴で、守護が願われている。
また、Kocboynuzu 紋様は、羊の角を表し、勇敢さの象徴で、繁栄を願っている。
電気も通わない砂漠、そもそも電気自体があったかどうかも定かではない頃の話である。
キリム創りには、途方も無い手間と時間を要しただろう。
それだけに、込められた想いも強かったのではないか。
二十数年前、僕は、伊 Verone で、仕事上の知合いだったイラン系伊人から、この布を譲って貰った。
父祖の代から、絨毯業を営む家系に産まれたその男は、親の代で伊に渡ってきた。
伊でも、業界の元締的存在で、構えていた会社も相応に大きく立派だった。
この布は、売物ではなかったが、タダで譲って貰ったわけではない。
安月給の割に頑張ったつもりだったが、到底値打ちに見合った額ではなかったように思う。
そんな経緯で、この Bedouin が、遺した布は、僕の手元にやって来て、今もこうして在る。
引退した後、ちょっとした企みがあるのだ。
まずは、水煙管と、七輪を用意し、このキリムを抱えて、家の坂を下る。
家を下った先にある砂浜で、キリムを敷き、水煙草を吸いながら、羊肉を焼き Kebab をつくる。
出来れば、星が輝く冬の夜が良い。
問題は、寒空の下、臍出して、腰をクネクネさせて、B
ellydance を踊ってくれるオネェチャンだ。
これには、ちょっと手こずるかもしれない。
まぁ、真珠通りに在る Kobe Mosque に、アルバイト募集の貼紙でもしとけば、誰か引掛かるだろう。
ただ、Mosque 界隈では、でっぷり肥えて、金持ちそうな印度人のオバチャンもよく見かける。
暇潰しにクネクネされても面倒なので、やんわりとした募集条件を箇条書きにしておこう。
楽しそうだ。
きっと、楽し過ぎるほどに楽しいはずだ。

宴名は、すでに、“アラビアのロレンスごっこ” と名付けてある。

 

 

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