二百七十七話 病の果てに、THE CROOCKED TAILOR !

花見を挟んで、二百七十五話からの続きです。
謎が謎を呼び、病が病を呼寄せる。
三〇年以上培ったキャリアの全てが、警告を発している。
「こんな腐れ話に耳を貸してはならない」
「こんな男に関わってはならない」
どうする?どうなる?俺の華やぐはずの Happy Retire Life は?
現役生活の終幕に於いては、善人面して、あくどく稼いで、オサラバするはずじゃなかったのか?
なのに、全然駄目じゃん、これじゃぁ!
一枚の名刺を眺めている。
“ S.L.C co.ltd for the splendid life’s creation 中村冴希 ” と記されてある。
「はぁ?なにがぁ? splendid life なんだよ?」
「間違いなく、地獄の一丁目一番地じゃねぇかよ!」
健全なひとの営みというのは、明るい未来を信じて、日々希望抱きながら暮すものである。
未来どころか、現世にも背を向けて、不穏で、暗く、荒んだ過去に、居場所を求めて彷徨う。
これは、もう立派な病であって、行着く先は、良くて病院、悪くすれば墓場だろう。
ぶっちゃけ、この中村冴木君は、何を僕にやれというのだろうか。
話を訊いた。
まず、縫製機を使わず、職人も雇わず、たったひとりで、自らの手だけを頼りに服を仕立てるという。
なので、布地が服となるまで、アトリエの外に出ることはない。
内部付属品から、縮絨加工、釦穴縢りに至るまでの全てをである。
言わば、究極の Haute Couture なのだが、華やかさの欠片もなく、モードの先進性も感じさせない。
それは、古典的で、枯れた風情を纏った普段着なのである。
服飾史の長い潮流の中に、埋もれ消え去った十九世紀の服が、ここに在る。
耐久消費材に成下がる遥か以前に着られていた服と正面から向合う。
この仕事が、日本人の手によって、今の時代になされたという事実に、細やかながら感動を覚える。
十九世紀、日本人の多くは、西欧渡来の被服にいまだ馴染めずにいた。
その点に於いて、洋服に纏つわる正統な遺伝子は、我々日本人の血統には含まれてはいない。
故に、根っこの部分で、少なからず劣等感を抱いている。
時を重ね、大分と薄らいできたとはいえ、全くなくなったわけでもないだろう。
自虐的私感だが。
今、多くの日本人デザイナーが、世界市場で活躍し、評価され、憧れの対象ですらある。
だが、それは、デザインがであって、服そのものの評価なんだろうか?
衣料について言えば、質という点で、微塵の進化も遂げてはいない。
それどころか、糸、布地、染色、縫製など、全ての工程要素で劣化し続けてきた。
三〇数年前、この稼業に就いた時と今とを比べても、その事は断言出来る。
そういった自戒も込めて、中村冴希君の創る “ The Croocked Tailor ”  を眺めてみると。
服本来の価値とは何か?
実直な服創りとは何か?
正統な遺伝子を継ぐ欧州人ですら忘れた事柄を、ひとりの日本人職人が、問い質そうとしている。
“ The Croocked Tailor ” は、Hand Made Line と Pret-A-Porter Line のふたつに分かれる。
その双方を引受けるのだが、問題は、Hand Made Line だ。
Musée du Dragon だけでの展開を予定している。
売れなければ、それはそれで問題なのだが、売れた時はさらに問題が発生する。
需要と供給の狭間で、究極のシーソーゲームを展開することになるだろう。
そして、銭儲けの醍醐味は、一切無い。
なんせ、供給は、ひとりの職人がこなせる量でしかないのだから。
簡単な算数で、賢い答はただひとつ。
断っちゃえばいいじゃん、こんな話。
しかし、そうならないところに、感染した病の重篤さがある。
過ぎ去りし偽りの無い服を想って、時代錯誤に陥る。
これは、懐古主義という救い難い病のひとつだ。
中村冴希君に、これだけは、言っておきたい。
引退前に一汗かくつもりではいるけど、長くは、やんねぇからな!
それと、もうひとつ。

妙な病気うつさないでよ! 身体弱いんだからね!

   

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