父親は、映画業界から服飾業界へと渡った。
どっちも、碌でもない稼業だとよく言っていた。
息子である僕も、その碌でもない稼業の一方に就いて、今に至っている。
ただ、父親が創業した婦人服屋を、後を継いだ僕は、紳士服屋にした。
その点に於いて、親子の生業に違いがある。
何故、そうなったのかと言うと。
おんなの人が、怖かったから。
良く言えば合理的、悪く言えば打算的。
或時、顧客の奥様が、御主人に言われた。
「お金使う前に、頭使ったらぁ?」
ほんとに怖い、だが、間違いなく正論で、だからこそ、なおのこと怖い。
ハーバード大学の医師である御主人にして、この始末なのだから、他は、推して知るべしである。
おんなの人は、服飾に何を求めるか?
それは、他人の目に自分の姿がどう映るか?
服飾は、その自己演出のための小道具であって、それ以上でも、それ以下でもない。
堅実、裕福、妖艶、可憐、洗練、素朴など、その時々の化身に応じて、費用対効果を測る。
だから、似たような服を、何着も求めるというような行為は、まさに愚行なのである。
あくまでも、見た目のバリエーションなのだから。
たま〜に、他の手が塞がっていて、奥様方の接客をすることがある。
そんな時、間違っても、この素材は、希少繊維でとか、縫製仕様が、細部にまで凝っていてとか。
能書を垂れてはいけない。
もし、その禁を破れば、こうなる。
「ふ〜ん、で、なに?」
「なにって、返されても」
「そうやって、頑張って、おっしゃるからには、これって、お高いんでしょ?」
「いや、まぁ、高いような、安いような、なんというか、そこは、どうなんでしょうか?」
「はっきりなさい!」
「はいっ、ちょっと、お高いですぅ」
「それは、しょうがないとして」
「主人の格好が、いつも鼠色ばっかりで印象が暗いのよね、春なんだから、なんとかならないの?」
もう、こうなったら、思い切った手を打たなければ、地獄を見る。
御主人の好みが、どうのと言ってる場合ではない。
こっちも、玄人なんだから、やる時はやる。
で、こうなった。
「あらぁ、良いじゃない」
「なんだぁ、やれば出来るんじゃないの」
「えぇ、まぁ、頑張れば、なんとかならなくもないというかぁ 」
「じゃぁ、いつも頑張れば?」
「頑張れない事情でも、なにかおありになるの?」
「……………………………。」
もう、泣きそう。
男女、どちらの目線でも出来なくはないけど、許されるなら男目線で、お願いしたい。