二百七十四話 男目線と女目線

父親は、映画業界から服飾業界へと渡った。
どっちも、碌でもない稼業だとよく言っていた。
息子である僕も、その碌でもない稼業の一方に就いて、今に至っている。
ただ、父親が創業した婦人服屋を、後を継いだ僕は、紳士服屋にした。
その点に於いて、親子の生業に違いがある。
何故、そうなったのかと言うと。
おんなの人が、怖かったから。
良く言えば合理的、悪く言えば打算的。
或時、顧客の奥様が、御主人に言われた。
「お金使う前に、頭使ったらぁ?」
ほんとに怖い、だが、間違いなく正論で、だからこそ、なおのこと怖い。
ハーバード大学の医師である御主人にして、この始末なのだから、他は、推して知るべしである。
おんなの人は、服飾に何を求めるか?
それは、他人の目に自分の姿がどう映るか?
服飾は、その自己演出のための小道具であって、それ以上でも、それ以下でもない。
堅実、裕福、妖艶、可憐、洗練、素朴など、その時々の化身に応じて、費用対効果を測る。
だから、似たような服を、何着も求めるというような行為は、まさに愚行なのである。
あくまでも、見た目のバリエーションなのだから。
たま〜に、他の手が塞がっていて、奥様方の接客をすることがある。
そんな時、間違っても、この素材は、希少繊維でとか、縫製仕様が、細部にまで凝っていてとか。
能書を垂れてはいけない。
もし、その禁を破れば、こうなる。
「ふ〜ん、で、なに?」
「なにって、返されても」
「そうやって、頑張って、おっしゃるからには、これって、お高いんでしょ?」
「いや、まぁ、高いような、安いような、なんというか、そこは、どうなんでしょうか?」
「はっきりなさい!」
「はいっ、ちょっと、お高いですぅ」
「それは、しょうがないとして」
「主人の格好が、いつも鼠色ばっかりで印象が暗いのよね、春なんだから、なんとかならないの?」
もう、こうなったら、思い切った手を打たなければ、地獄を見る。
御主人の好みが、どうのと言ってる場合ではない。
こっちも、玄人なんだから、やる時はやる。
で、こうなった。
「あらぁ、良いじゃない」
「なんだぁ、やれば出来るんじゃないの」
「えぇ、まぁ、頑張れば、なんとかならなくもないというかぁ 」
「じゃぁ、いつも頑張れば?」
「頑張れない事情でも、なにかおありになるの?」
「……………………………。」
もう、泣きそう。

男女、どちらの目線でも出来なくはないけど、許されるなら男目線で、お願いしたい。

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