二百四十七話 仕立屋

生涯現役っていうのも、そりゃぁ理想なんだろうけれど。
この稼業は、それが簡単に許されるほど甘くはない。
僕も、そろそろ潮時を考えねばならない歳になったと思う。
しかし、それは今ではないし、かといってそんな先の話でもない。
ただ、稼業を終える前に、やっておきたい仕事がいくつか残っている。
それらを、やった後は、とっとと引くつもりなんだけど。
そのひとつに、昔堅気の服創りをもう一度やってみたいという想いがある。
なにも、懐古的なデザインの服をという訳ではない。
今の時代、服飾品は、安易な大量消費材へと成下がってしまった。
街には、端からゴミになることを前提に創られたような服が溢れている。
暴論だが、衣料品とゴミは同意語といっても許される時代なのかもしれない。
って事は、俺等はゴミ屋なのか?
そうじゃないことを、証明しておきたい。
幼い頃、よく “ 一張羅 ” という言葉を聞いた。
少し無理をしてでも、一家の稼ぎ頭には良い服を着せたい。
そんな一家の想いを纏った大人の男が、格好良く見えた時代があった。
服が、街場にいる職人の手によって丁重に仕立られていた時代を、眺めた最後の世代かもしれない。
若い頃、ROMA に在る Gaetano Scuderi 社という仕立屋を取引先にしていた。
老いた Maestro であった Signore Perrone によく言われた言葉がある。
⎡あそこの店屋の服だったら、亭主に他所で恥じをかかせることはない⎦
⎡そう、客の女房に言わせなければ、一端の紳士服屋とは言えない⎦
Mamma の国、伊ならではと思われるかも知れないが、日本もかつてはそうだったんだろう。
その頃の服は、今とは明らかに違う。
一針一針に込めた職人の誇りや気持ちが、今時の服からは微塵も伝わってこない。
そもそも、街中に溢れている服のほとんどは、どっかしらの他国で創られている。
自分が何を創っているのかさえ判っていない輩が、適当に日銭稼ぎにやってるだけだから。
だったら、プロの服屋として、筋を通した服を商ってやろうじゃないか。
こんな時代にあって、売れないかもしれないし、鬱陶しがられるとも承知している。
だけど、面子も揃ったことだし、やらせていただきますよ。
此処に、一着の試作品がある。
今は、詳しくお伝え出来ないが。
このジャケット、製作の一切をアトリエにて仕上げている。
芯地や、垂綿に至る付属品までも、一人の職人がこなす。
ボタンホールも、手でかがる。
この若い職人の矜持が、僕の最後の仕事を支えてくれると信じている。

二〇一四年春、この酔狂な仕事が、少しでもご理解戴けることを祈って。

 

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