二百四十四話 なんで、そうなるの?

八十五歳の親が逝くって、世間一般ごくごくあたりまえの話なんだろうと思う。
なのに、どうもいけない。
だけど、くよくよしていてもしょうがないし、旅立った義理の母にも怒られそうだから。
明るく、頑張る事にする。
こういう時には、馬鹿噺でも聞いて、笑って、気分を変えるのが一番良いんだけど。
こんな折も折、有難いことに、うってつけの奴が東京からやって来た。
御存知、ANSNAM の中野靖だ。
⎡確かに、日本ホームスパンで手紡ぎの糸開発は今後も続けなければいけないって言ったよ⎦
⎡そんでもって、いづれはデニムパンツの企画を検討しなけりゃならないとも言ったよ⎦
⎡だけど、その別々の案件を、なんで一緒くたにすんだよぉ!⎦
⎡なんで、そうなるのかって訊いてんだよ!⎦
⎡いっぺんに片付いて、結構な事じゃないですか⎦
⎡そういう問題かよ!一体どんな頭の中身してんだよ! ⎦
もう一〇年近い付合いになるが、この男の考えることは一切予想不能だ。
手紡ぎの原糸開発とデニムパンツの製品企画。
でもって、手紡ぎのデニムパンツを創ろうっていう思考の過程が解らない。
百歩譲って頭をよぎったとしても、実行する奴はまずいないだろう。
それが証拠に、三十年以上この業界にいるけど、見た事も聞いた事もない。
ほんとうに馬鹿なのか?それとも天才なのか?
鞄の中から、一本のデニムパンツを出してきた。
⎡言っときますけどね、会心の仕上りですよ⎦
普段は、こういう台詞を吐かない男なんだが。
⎡いいよもう、言えば言うほど、聞けば聞くほど、見れば見るほど、不安になるから⎦
見ると。
⎡意外と、面だけ見ると普通のデニムじゃん⎦
⎡そうでしょ、手紡ぎらしさを抑えるために、アトリエでハンマー叩きして表面処理しましたから⎦
⎡はぁ?わざわざ抑えるんだったら、手紡ぎの糸使う意味ねぇだろうが!⎦
⎡で、これって、防縮加工とか、糊付けとか、施してんの?⎦
⎡えぇ、雲南族に昔から伝わる秘伝の糊を塗ってあります⎦
⎡雲南族?秘伝? 場末のうなぎ屋のタレじゃないんだから、怪し過ぎるだろう?⎦
まったく意味が解らない、ただ、どうやら縮まないし、色落ちも少ないらしい。
仕様的には、テーラリィングの手法が用いられていて、デニムパンツと言うよりトラウザーに近い。
例えば。
旧織機で織られた生地の耳を残しながら、内側で処理することによりTapered Silhouette を実現とか。
ウエスト後部で調整機能を持たせ、腿が太くてウエストが細い人や、その逆の人でも対応可能とか。
本人は、難しい制約のなかで、このシルェットを創りだせた事にいたくご満悦である。
ただ、このデニムパンツ、恐ろしく軽く、独特の風合いをもっている。
そして、履くと、妙に納得してしまう。
これが、ANSNAM MAGIC なのかもしれない。
意味不明の二〇一四年春夏 “ ANSNAM COLLECTION ”
駄作か?逸品か?
判断はお任せいたしますが、どっかで噂を聞きつけられた御客様から、まさかの予約を戴いている。
なにもかもが、常識の範囲を越えていて。

もう、僕の手に負えないかも。

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