二百三十二話 “ PUNK の父 ” とは、何者だったのか?

 

皆さん、こんばんわ。
夜更けには、肌寒く感じられる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか?
読むと馬鹿になる、聴くと阿呆になる、“ DRAGON Blog & Music ” のお時間がやって参りました。
最後まで、適当にお付合いください。
さて、今夜は、秋の夜長に聴く至極の名盤をご紹介いたしましょう。

MALCOLM McLAREN AND THE BOOTZILLA ORCHESTRA “ WALTZ DARLING ”

“ SEX PISTOLS ” の産みの親、PUNK の父、Dame Vivienne Westwood の前夫。
天才、奇人、狂人、興行師、教授、詐欺師、芸術家、反体制主義者、起業家、等と様々に評される。
だが、この人の真実は誰にも解らない。
“ Malcolm Robert Andrew McLAREN ”
DCMS の役人連中が、この人の足跡を、どんなに掻き消そうと躍起になっても無駄であろう。
それほどに、一九七〇年代 に起きた “ PUNK MOVEMENT ” は、強烈で世界規模だった。
PUNK の父か否かは別にしても、仕掛人として重要な役割を担った事には違いない。
McLAREN とは、一体何者だったのか?
この話をしだすと切りがないし、多分、凡人の憶測の域を出ないので、本題に入ります。
“ WALTZ DARLING ” は、一九八九年にリリースされた実験的な作品です。
Funk、Rock、Pops、Disco等、多種多様の音楽表現が、ワルツを素材に試され披露されている。
共にプロデューサーを務めたのは、現代音楽に技術革命をもたらした Phil Ramone。
ファンク・ベーシストの神様 Bootsy Collins、孤高のギターリスト Jeff Beck の起用等。
仕掛人としての腕は、相変わらず冴えいて。
構成でも、出し惜しむ事なく一曲目から一気に攻める。
“ House of The Blue Danube ”
題材となるのは、ヨハン・シュトラウスの ⎡美しき青きドナウ⎦
古典的オーケストラの演奏に、色っぽいオネェちゃんの声が被さりながら始まる。
一転、シンセサイザー・ベースのファンキーなダンス・サウンドへ。
そして、Jeff Beck のギター・ソロへと瞬時に入れ替わる。
まさに円舞のように。
McLAREN が、そう考えたのかどうかは知らないけれど。
絶対的白人社会で産まれた貴族的音楽のワルツと、黒人文化が産んだ血統的音楽のファンク。
人種、階級、文化、精神等、すべてに於いて真逆の水と油を結合へと導く。
どちらも否定した後に、どちらも肯定した作品へと仕上げるという屈折した感覚。
この奇妙で、難解で、面倒臭い感覚が、僕には堪らない。
全体的には、古典を題材とした McLAREN 流ハウス・ミュージックといった感じだが。
単純に聴いても、とても楽しめる名盤だと思います。
さて、 Malcolm  McLAREN だが。
二〇一〇年四月八日。
英国女王を冒涜し、音楽業界を侮辱し、大衆を三〇年欺き続けた男は、逝った。

PUNK の母 Dame Vivienne Westwood が見つめる先を、かつての盟友で前夫の柩がいく。
柩の側面には、“ Too fast to live, too young to die ”、正面には、anarchist の “A” が描かれている。
PUNK の父と呼ばれた柩の主は、何者だったのか?
そして、PUNK の母と呼ばれた女は、その男をどういう想いで見送ったのか?
一九七一年。
King’s Road 四三〇番地に開業された一軒の服屋が、御二人のキャリアの始まりだった。
知らない世代にとっては伝説の、渦中の世代にとっては慕情の、聖地となっている。
Punk Fashionを見事に纏って、葬儀に臨んだ Dame Vivienne Westwood。
破壊と革新に明け暮れたあの頃と何も変わりはしない。
二〇〇四年。
Vivienne の回顧展が開催される。
英国文化歴史家でもある作家 Fred Vermorel によれば。
英国デザイン史の権威主義者は、McLAREN の業績を回顧展から消し去った。
McLARENは、提訴を口にしたが、国家の修正主義に勝てる見込みはなかったという。
全く、糞のような話である。
ファッションが、世界を変える。
なぁ〜んてことを、本気で信じていた時代があった。

こんな稼業にあっても。
ささやかな誇りを持つことを許されるのだとしたら、この人達のお陰なんだと思っている。

カテゴリー:   パーマリンク