三百二十五話 毛を起こすだけの仕事人

 

服になんか頓着しない。
世の中には、こう思っている人は意外と多いと思う。
男だと、なおのこと多いのかもしれない。
まぁ、着るものなんて、安けりゃ安い方が良いっていう考えもわからなくはないけれど。
値段の高い安いに関わらず、譲れないこともある。
着心地だ。
この歳で、着るものにまでストレスを感じるなんて勘弁してもらいたい。
どんなに安くて格好良い服でも、我慢比べみたいな着心地の悪い服は我慢ならない。
逆に、一見何の変哲も無い服でも、心地良く身体を包んでくれるような服だと欲しくなる。
多少無理をしても手に入れたくなる。
オヤジの生態は、生理的欲求に極めて我が儘で繊細である。
ちょっとした忍耐を強いられただけで、具合が悪くなってしまうこともある。
オバチャンみたいに図太くは暮らせないのだ。
そこで、そういった不安のない安全で快適な服をひとつご紹介したいと思う。
Vlass Blomme から届いた “ Hand Raised Knitting Hoodie ”
英語だとこんな感じだろうが、“ hand raised ” とは?あまり聞き馴れない言葉だと思う。
起毛工程を手作業によって施すという意味なのだが、一般の方には想像しにくいだろう。
僕でも、景気が良かったバブル時代の頃に、一度その現場を見たことがあるくらいだ。
Vicuna だか Baby Cashmere だったかのコート生地の起毛を依頼したように記憶している。
コート一着が、高級外車の値段を軽く越えていたので、念のため立合うようにと言われた。
馬鹿げた事が街中に溢れていた時代で、誰もがそれをあたりまえだと思っていた。
大阪の南、泉州地域は、古くから高級毛織物産地として栄えてきた。
近年、さすがにその栄華も過去のものとなりつつあるが。
それでも岸和田の街では、いまだにこんなものが栽培されている。

欧州原産の “ Teasel ” という植物で、古来毛織物の起毛には欠かせない道具として使われてきた。
英国では洋服屋の象徴であり、倫敦の Cloth Workers Company でも紋章として掲げられている。
乾燥させた “ Teasel ” の頭花は、こんな具合に束子のようになる。

この束子を回転させながら生地表面を起毛していくのだが、単純に見える仕事ほど難しい。
最初 、起毛職人と聞いた時、世の中にそんな稼業があるのかと疑ったけれど。
実際に目にすると、とても常人に成せる手業ではない。
根気のいる繊細な作業で、毛足をどんな具合に揃えていくかは職人の感性と腕頼みとなる。
数百万円の値打ちは、 大方ここで決まると言っても良い。
しかし、なんでまたこれほどの熟練の手業を、たかがと言っては失礼だが hoodie なんかに?
上質の亜麻は、解繊分離させていくと細くなっていく。
その細さは、Cashmere にも匹敵する。
だから、高級毛織物に用いられるこの起毛技術が生かされるのではないかと考えたらしい。
ほんとうに素晴らしい見識と探究心だと感心させられる。
商売として考えるなら、間違いなく機械起毛だろうが。
もしそうだったら、この軽さも、暖かさも、柔らかさも、全く違ったものになっていたと思う。
通り一遍の原価勘定で語れるほど、この稼業の底は浅くはない。

毛を起こすだけの仕事人、カッケェ〜!

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