三百九話 それでも特撮と言えるのか?

先週は ” るろうに剣心 ” を、 今週は ” GODZILLA ” を観に、都合二週連続劇場へと足を運ぶ。
すでにご覧になられた方も多く、旬の話題とは言いがたいので恐縮なのだが。
せっかく観たので、軽〜く触れておく。
正直な感想を言えば、両作品共理屈抜きで楽しめた。
特に “ GODZILLA ” は、前作の悪夢もあって大した期待もしていなかっただけに、
儲けたような気分になる。
米国人に、ゴジラを創られてたまるか!
そういった世迷言を口にしたような気がしますが。
スイマセン、言直します。
今んとこ、こんなゴジラを創れるのは、米国人だけだ!
Thank you Yankee !
Bravo Hollywood !
“ GODZILLA ”と“ ゴジラ ” は、“ Computer Graphics ” と“ 特撮 ” なのかもしれない。
そして、僕は、無類の特撮愛好家である。
双方を喩えるなら、一般的には、“ Disneyland ”と“ 浅草花屋敷 ”を比べるようなもんだろう。
もちろん、“ GODZILLA ”は“ Disneyland ”で、“ 浅草花屋敷 ”が“ ゴジラ ”なのだが。
それでも“ 特撮 ”と言えるのか?は、それでも“ 浅草花屋敷 ”に行きますか?に近い。
しかも、映画であれば木戸銭は同じだ。
もはや、同じ次元で語れる代物ではない。
じゃぁ、誰も“ 浅草花屋敷 ”には足を向けないかというと、それがそうでもない。
今だに、年間四〇万人の入園者を維持し続けているのだから。
いつの時代でも、どんな国にでも、郷愁に時間と銭を費やす人はいるものだ。
だが残念ながら、もはや “ 浅草花屋敷 ”も“ 特撮 ”も、それ以上でもそれ以下でもない。
仮想現実や、仮想世界を、万人に提供できる存在ではないのだ。
となると、
日本で産まれた“ ゴジラ ”が、米国に渡って“ GODZILLA ”となったことは喜ぶべきなのかもしれない。
まぁ、そう思わせるような出来だったということですよ、今回の“ GODZILLA ”は。
悔しいけど、しょうがねぇし。

それにしても、ブフォォォっていうあの放射能垂れ流し戦法には驚いたなぁ。

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