二百八十一話 塵紙入れ

海辺の家の家主が替わった。
家主が替わると、当然のごとく、家を片付けなければならない。
これは、新旧の家主同士で執り行われる儀式みたいなもので。
何を棄てて、何を遺すかという領域には、夫といえどむやみに立入るべきではないと思っている。
新しく家主となった嫁が、納戸の闇から小さな箱を抱えて這い出てきた。
妙な彫刻が施されている。
「それ、なに?」
「ティッシュ・ボックスみたいね」
「どうすんの?」
「棄てるに決まってんじゃん!こんなの何処で使うのよ!」
「色塗って描けば、意外と使えるかもな」
「そんなに言うなら、やってよ!」
「えっ、俺が? だいたい、そんなにって言うほど言ってないし」
「じゃぁ、お願いね」
言い残して、また納戸の闇に消えていった。
言わなきゃ良かった。
なんで、俺が、塵紙入れの箱に、絵を描かなきゃなんねえんだぁ!
プライドってほどのもんは、持合わせていないけど、よりによって塵紙入れとは。
それでも、描き出すと、これはこれでなかなかに夢中になる。
すっかり、塵紙入れだということも忘れて、一気に仕上げる。
夕方、ようやくひとつ目の納戸の整理を終えた嫁に見せた。
「うわぁ〜、凄いじゃん! こんな風になるんだぁ!」
「ただ、わたし、椿は、斑入りじゃない方が好きなんだけどね」
「えっ?」
「 真っ赤なやつが好き」
「描く前に言えよぉ!」
「 でも、綺麗じゃん、これだと充分使えるわぁ」
今後は、気をつけよう。
椿が、斑入りかどうかの話ではない。
なにかしら手を尽くせば、使えるようになるとかといった不用意な言動を慎まなければ。
終いには、襖に桜の絵でも描く羽目になるかもしれない。
「えっ? 何か言ったぁ?」

「なにも言ってません!」

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